「見えること、五感があることの幸せ」 ヘレン・ケラー
ある日、森の中を長い間歩いてきたという友人に、ヘレンさんは聞きました。
「森の中にはどんなものがあった?」
すると、友人は「別に何も」と答えます。
そのときにヘレンさんが感じたことというのが、以下の文です。
「1時間も森の中を散歩して、『別に何も』ないなんてことがどうしたら言えるのだろうと思いました。
目の見えない私にもたくさんのものを見つけることができます。
左右対称の繊細な葉、白樺のなめらかな木肌、荒々しくゴツゴツとした松の木の樹皮・・・。
目の見えない私から、目の見える皆さんにお願いがあります。
明日、突然目が見えなくなってしまうかのように思って、
すべてのものを見てください。
そして、
明日、耳が聞こえなくなってしまうかのように思って、
人々の歌声を、小鳥の声を、オーケストラの力強い響きを聞いてください。
明日、触覚がなくなってしまうかのように思って、あらゆるものに触ってみてください。
明日、嗅覚と味覚を失うかのように思って、
花の香りを嗅ぎ、食べ物を一口ずつ味わってください。
五感を最大限に使ってください。
世界があなたに見せてくれているすべてのもの、喜び、美しさを讃えましょう」
ヘレン・ケラーは、もし自分に三日間だけ「見る」ことが許されたら、
何を見たいのか書いている。
それによると、まず初日には、アン・サリバン先生を見る。
それはただサリバン先生の顔や姿を見るのではなく、先生の思いやり、やさしさ、忍耐強さといったものを読み取るために「じっと見る」のだという。
また、赤ん坊、親しい人々を見て、さらに森を散歩して、沈む夕日を見て、祈るという。
二日目の早朝は、雄大な日の出を見て、
さらに美術館で人間の歴史を眺めてみたいという。美術作品を通して、人間の魂を探りたいのだ。
そして夜には、すでに認識の上では「見た」ことのある映画や芝居を、本当に見てみたいという。
三日目は、再び雄大な日の出を心ゆくまで見る。そして、ニューヨークという活気ある街とそこで働く人々に目を向ける。
さらに、橋・ボート・高層ビルを見て、ウインドウ・ショッピングを楽しむ。最後に、夜には、再び劇場で人生ドラマを楽しみたいという。