差別は重罪 「同事」差別されて落ち込む必要はない
仏教では差別は重罪です。
もし、差別的なことをされたり、言われたりしたら、ニコッと笑い返せばいいのです。
たとえ石を投げつけられても、はらわたが煮えくり返るような暴言を吐かれても、決して怒ってはいけません。
逆に、自分を卑下して、落ち込む必要もありません。
人の役に立つ生き方をあらわした仏教の「四摂事(ししょうじ)」のひとつ、「同事(どうじ)」では、「一切の生命は平等で、決して差別してはいけない」としています。
少しでも相手を差別したら、それだけで重罪です。 差別する人なんて、放っておけばいいのです。一切、無視するのです。
宗教の立場で言えば、キリスト教やイスラム教では、「同性愛は悪なので、地獄に落ちる」と脅しています。
仏教では、まったく気にしていません。 「罪が悪い」と仏教は言います。
「罪」というのは、殺生すること、盗むこと、嘘をつくこと、怒り、嫉妬、憎しみなどの暗い思考を持つことです。
昔からある売春行為は、世間ではすごく悪いことだと思っているでしょう。
仏教から見れば、あまり厳しいことは言っていません。
それは、売春行為は、目的がはっきりしているからです。
いくらかの収入を得るために、仕事としてやっている。それで契約は終わり。
ですから、「責任」の問題が出てこない。女性が「売春行為をするのは、いいかどうか」というのは、また別の問題です。
仏教では、そういう仕事をした女性たちが、結構有名な、すごく立場のある仏教徒になっていて、経典に記録されています。まったく「差別の目」で見ていません。
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