なぜ命の重さに違いを感じるのか?
悩むのは愛着があるから
「愛別離苦」が人生です。
たとえば、誰かが「家一軒、壊れましたよ」と騒いでいたとします。
それだけなら無関心でいられます。驚きもしません。
しかし、「壊れたのはあなたの家ですよ」と言われたら、その瞬間に気が遠くなって、立ち直ることができなくなります。
別の例でいえば、リビアでたくさんの人が死んでもぜんぜん気にしませんが、家族の誰かが一人死んだら、耐えられない苦しみに陥りますね。
問題は愛着にあるのです。
人間の慈悲、慈愛には限界があるのです。人間の慈悲を「小慈悲」といいます。
すべての人々を幸せにしなくてはいられない。すべての人々が幸せになったとき、「ああ、うれしい。これで私も幸せになれた」と言われるのが仏なのです。
愛着のあるものへの小さな範囲の小慈悲だとしても相手を大切にしましょう。
◉喜びを得たければ、人と分かち合わなければならない。幸せは双子で生まれたのだから。──バイロン卿
◉独り占めしていては、幸せとは呼べません。それじゃあ味気なくて。──シャーロット・ブロンテ
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