「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」親鸞聖人 【自分も何をしでかすか分からない】

「自分は絶対にあのようなひどいことはしない」と言い切れない。

 

「さるべき業縁のもよおせば、いかなるふるまいもすべし」

(「そうなるべき縁がもよおすならば、どのような振る舞いでもしてしまうのがわたしです」)と親鸞聖人は仰いました。


この言葉は、親鸞聖人と弟子の唯円さんとの会話に出てきます。


「聖人の仰せならば、私は、背きは致しません」と言う唯円に、聖人は「では、人を千人殺して来なさい」と命じます。

 

「そのようなこと、私の器量ではできません」と唯円が返せば、「人を殺さないのは、あなたが善い心を持っているからではありません。

 

また、決して殺害はしてはいけないと思っていても、そうなるべき縁がもよおすならば、殺すということもあるかもしれないのです」と聖人は語ります。

 

 

昔、コーサラという国に、アングリマーラという人がいました。彼は、青年の時、あるバラモンの弟子となりました。

 

真面目で従順な彼には、何の罪もなかったにもかかわらず、師の妻の陰謀にはまってしまいました。そのために、彼は、師から「千人の人を殺害しなければ、本当のバラモンにはなれない。」と命ぜられました。

 彼は、師の命令に従って、千人の殺害を実行しようとしました。その名「アングリマーラ」は、「切った指でつくった輪をかけている者」という意味です。

 

私たちは、たまたま生まれ育った境遇や、現在の生活や人間関係が犯罪を促すようなものでないので、今は重罪を犯すことが思いもよらないだけなのです。

 

もし、考えもおよばないような情況に追いつめられたり、犯罪を引き起こすような条件が周りにそろってしまったならば、自分も何をしでかすか分からない。

そのような想像力がとても大事なのではないでしょうか。